はじめまして、
コウと申します。
僕が情報発信しているのは、
『産まれる場所によって無条件で発生する
不公平をなくす環境を作りたいから』です。
僕は、貧乏な家庭で育ちました。
母が他界してからさらは
さらなる貧乏生活に突入しました。
自分で言うのもなんですが
運動神経は人より良かったです。
小学2年生のとき
筋肉番付を見てバク転がかっこよくて
自分で練習してみたら
バク転もバク宙もできるようになった。
けど、お金がないから体操教室に通えなかった。
小学校3年生のとき
リフティングが100回以上できて
友人にサッカーチームに誘われても、
お金がないから断ることしかできなかった。
小学校4年生のとき
背は低かったけどバスケットも上手くて
友人にバスケのチームに誘われたけど
お金がかからない小学校のクラブ活動しか入れなかった。
友だちが通っている書道教室へ遊びに行き、
体験で書初めを書いた時、その教室の先生から
どこの教室で習ってるの?と聞かれるくらいだった
友人が2つも3つも習い事をしているのに、
僕は金銭的事情で習い事に通えなかった。
高校生2年生のときは
インターハイに出場決定したのに
そのことを親に告げた第一声が
「お金がないから辞退しろ」だった。
高校3年生のとき
テニスの成績で大学から推薦が来たけど、
お金がなかったから、
早くお金を自分で稼ぎたかったから
無条件で就職を選ばざる負えなかった・・・
思い出せばキリがないくらいたくさんの選択を
「お金がない」という理由で諦めることしかできなかった。
もし、貧乏な家庭に生れなかったら
もし、普通の家庭に生まれてたら
もし、習い事も友人と同じくらい通えたら
なにも、
乗馬とかゴルフとか
フィギアスケートとか
ヴァイオリンがやりたいとか
言っているんじゃなくて
近所のコナミの体操教室とか
その町のサッカーチームとか
バスケのチームとか
近所の書初めの教室とか
インターハイの出場が決まったら
「おめでとう、がんばれよ」の一言が
大学から推薦が来たら
喜んで行けるような…
それだけでいいんです。
これって高望みでしょうか?
僕の勘違いでしょうか?
恐らく世間一般的に見たら、
僕が金銭的事情でできなかったことは
全部「普通」のことです。
ごく一般的に、
ごく当たり前に、
僕と同い年の子が行っていることです。
でも、人は生まれる場所を
選択することはできません。
どう考えても無理です。
当時の僕は、子どもながらに
自分の惨めさを感じてました。
なんで、僕だけ?
毎度のことこう思いました。
だからこそ僕は、
僕と同じ境遇を経験する人を
一人でも減らしたいと
強く強く願うようになりました。
強く願っているうちに、
漠然としていたその願いは
いつしか次のような思いへ変わりました。
『産まれる場所によって無条件で発生する
不公平をなくす環境を作りたい』
僕が関われる限りの人で、
同じ境遇に陥りそうな人を、
無条件で助けたい。
無条件で発生するのだからと。
でも、この夢は、自分一人では
到底達成できないと考えています。
自分一人では乗り越えることが困難な
乗り越えべき壁が多く存在します。
だからこそ、
僕は、僕の人生において
関わったすべての人から学んだことを
自分の経験に変えて、
情報として発信しているのです。
将来的に、
産まれる場所によって無条件で発生する
不公平をなくす環境を一緒に作ってくれる
仲間を作りたいんです。
もちろん、みんながみんな
僕と同じ価値観であるはずがないのですが、
いつか同じ価値観の仲間に出会えたときに、
何もできない自分でいたくないのです。
だから、
自分のためにも
同じ価値観の仲間のためにも
恵まれない環境に生れた子供のためにも
情報発信を行っているのです。
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